参拝のご案内
月次祭 毎月 6日 10時より
(春季大祭・秋季大祭も含む)
入社祭 毎月21日 19時より
(春季御霊祭・秋季御霊祭も含む)
朝づとめ 6時より
夕づとめ 19時より
どなたでも自由にご参拝頂けます
One world
one family
世界中の人間は一つの家族
たすけ合って困難を乗り越えよう!
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あいさつ
愛野分教会ホームページをご覧下さいまして、有難うございます。
当教会が所在する愛媛県四国中央市は、人口約八万五千人が在住する四国山脈と瀬戸内海に挟まれた自然豊かな町です。
古くから紙作りが盛んであり、現在でも大小多くの製紙会社が運営され、紙幣、切手、収入印紙以外の紙は全て作れると言われています。また例年春になると日本三大局地風の一つに数えられる「やまじ風」が多く発生し、風速30メートル程の暴風域となる事もある為、稲作などはあまり好まれず、里芋などの根菜類の栽培が盛んな土地柄です。
そんな地域に育まれて、当教会は明治44年10月28日の愛野宣教所設立の頃より、100年以上もの間、代を重ね、多くの人々の心をたすけ、支えられ、土地所の教会としての役割を担ってきました。
そしてそれは今も、これからも変ることはありません。
地域の人々に親しまれ、心が通い合う教会。そして陽気ぐらしの世界へ向かって、明るく楽しく苦難の中も助け合いながら歩む、そんな教会を当教会は目指しています。
しかしながら現代社会は、核家族化や少子高齢化、異常気象や精神疾患者の増加。ITの急激な普及がもたらしたグローバル化による様々な環境の変化。時代の移り変わりと共に問題のニーズも多様化し、家庭環境や職場においても、心の悩み苦しみを抱える方が後を絶ちません。
天理教教祖、中山みき様は、原典である「みかぐらうた」の第四節「よろづよ八首」で次のようにお教え下さいました。
《よろづよ八首》
よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらハれて なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ
今も尚このような御心で、この世界中の人間を隈なくたすけたいんだと仰せ下さっているのが、私達人間を創造して下さり、親心いっぱいに御守護下さっている親である神様。親神様の思召しであります。
人間には、創造の時より「陽気ぐらしをさせたい」という親神様の思いが込められています。これを「元のいんねん」と申します。
しかし人間は心を自由に許されて暮らすうちに、その心づかい一つで善き種も蒔けば、悪しき種も蒔いてきました。
「善き事をすれば善き理が添うて現れ、悪しき事をすれば悪しき理が添うて現れる。」(天理教教典より)
と、本教で教えて頂きますように、どんな苦しい病気も災難も人間関係のもつれにも、それが起こってくるだけの「種」があります。それは己一代限りで見せられたものもあれば、過去幾代もの種、いんねんを見せられることもありましょう。
しかしそれは決して苦しめよう、困らせようとの思いからではありません。心を入れ替えさせ、あるいは勇ませて、陽気ぐらしをさせてやりたいという篤い親心のあらわれであるとの仰せであります。ですから苦労や苦難とは人間誰しもが起こり得る事であります。
当教会は、そんな悩み苦しみの最中にいる方に寄り添い、共に心の使い方、治め方を学び、実践していきます。
『人の幸福は、その境遇に在るのではなく、人生の苦楽は、外見によって定まるのではない。すべては、銘々の心の持ち方によって決まる。』
(天理教教典より)
どのような方でもどうぞ、お気軽にご相談ください。
愛野分教会五代会長 合田勇一郎